東京地方裁判所 昭和45年(ワ)5942号 判決 1972年7月15日
原告
五十嵐一公
右訴訟代理人
中野高志
被告
岩沢将
右訴訟代理人
旦良弘
外二名
主文
一 被告は原告に対し金百五拾万円及びこれに対する昭和四拾五年四月壱日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告、被告の平分負担とする。
四 この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
(一) 被告は原告に対し金三、五〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四五年四月一日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言。<後略>
理由
一事故の発生
請求原因(一)については、当事者間に争いがない。
二動物占有者の免責事由
被告が被告犬の種類、性質に従い相当の注意をもつて被告犬の飼育管理をしたか否か検討する。
(一) 被告側の事情
1 被告犬の種類、雌雄・年令・体重・背丈及び性質・性癖
<証拠>によると、被告犬は昭和四四年二月一日生れの雌の秋田犬に属し、体長約六五センチメートル、体重約四〇キログラム前後の大型犬であること、一般的に秋田犬は生後九ケ月で一応の体型が出来上り、二、三年経つと獰猛性を発揮して時々人を咬むこともあり、犬に喧嘩をふつかけて咬んだり、主人の命令を聞かないようになり、とくに犬、猫を見つけて襲うなどの咄嗟の場合は相当動揺し暴れる癖をもち、他種犬に比し飼育困難であること、本件事故当時被告犬はすでに生後一歳二ケ月で体型も出来ており、強い力をもち、他犬を襲うときには瞬間的に極度に暴れて強い力を発揮することが認められる。
2 被告犬の加害前歴および咬癖
<証拠>によると、被告犬は本件事故以前、訴外部谷某女(当時二二歳)の腰を洋服の上から咬み、同女は右事故によつて二度程医師の治療を受けたことがあること、又被告の妻正子が近所の者と立話をしその傍で被告の長男(小学校六年生)が被告犬を紐で確保中、被告犬は、晟子に連れられて散歩中の原告犬の尻尾に咬みついたことがあること、訴外金子が昭和四五年三月ころ被告犬を他の犬と交配させようとした際被告犬から咬みつく動作をされたことを認めることができる。以上の事実を総合すると被告犬は日頃から咬癖があつたことが認められる。
3 保管者の熟練度・被告犬の訓練
<証拠>によると、被告は幼年期からとくに小学生時代から中学生時代にかけて秋田犬を飼い、被告犬を愛玩用に所有していること、これに反し正子は主婦で犬の飼育の経験に乏しく、その体重も被告犬と大差なく、被告犬を引率してもこれを充分に制御できないこと、被告犬は秋田犬保存協会の登録犬であり秋田犬の体型を調べるドッグショーではチャンピオン資格犬の賞を受けたことがあること、訴外金子が昭和四四年七月から一〇月までの四か月間木、日曜日を除く毎日被告犬に対して秋田犬保存協会規定の家庭訓練の中等科試験合格程度の訓練即ち坐れ、伏せ、待て、訓練士の左側について歩くこと、わんわん、立て、休止、ちんちんの訓練を実施したこと、その後被告自身夜は七時、朝は九時頃自宅附近を散歩させ又は妻正子、被告の長男をして同様散歩させた事実を認めることができる。しかし、他方、<証拠>によれば、秋田犬は土着犬であり洋犬に比して訓練が難しく完全な訓練を施すには六ケ月から一ケ年を必要とし、とくに主人の命令で喧嘩をやめるように調教するには少くとも一年かかること、被告は被告犬の調教を四ケ月で中止したがその理由は訓練費の都合がつかなかつたことに存すること、被告犬に完全な調教を施すには、あと少くとも二ケ月必要であつたことを認めることができる。以上の事実を総合すると被告は被告犬の訓練を充分施したとはいえない。
4 正子の本件事故での措置、態度
<証拠>によると、原告の母晟子は事故当日午前九時頃自宅から原告犬と同種の犬(雌)との二匹を一緒に紐につないで引率しB道路上をA道路に向けて歩行し、両道路の見通しの悪い交差点附近でありかつ晟子宅から数軒先であつて被告宅前の③地点にさしかかつたとき、七メートル離れた所に正子に連れられている被告犬を発見し、晟子の足元三〇センチメートル前にいた原告犬を抱き上げようとし、他方正子は同時刻頃通称玉電通りから被告宅に向つてA道路上で長さ1.5メートルの皮の紐を用い被告犬を口輪もはめず体の左側につけて皮紐の中間を左手で、端の近くを右手でもち一応調教の姿勢で被告犬を引率していたが、被告犬は原告犬等の臭いを嗅ぎつけ急に走り出したので、正子は右手にもつた紐で被告犬をたたくことも制御する暇もなく被告犬の皮紐を離してしまい、被告犬はA道路とB道路との角を曲つて③地点で晟子に抱き上げられようとしていた原告犬を襲いその脇腹と心臓とを咬み原告犬を死にいたらしめたことを認めることができる。以上の事実からすれば、正子の散歩引率の際の被告犬に対する確保は極めて不充分であつたといわねばならない。
5 まとめ
前記のような体格を有ししかも咬癖のある犬を愛玩用に飼育すること自体、社会生活の安全に対し無用の脅威を与えるものであるから、かような犬を保管するに至つた者は、常にこれを丈夫な鎖で繋留し、運動は金網付の運動場でさせるべく、これを他人他犬と遭遇するおそれのある場所に外出させることは極力避け、緊急やむをえない用務で外出させる場合は、犬が暴れても充分にこれを制御して他に危害を加えさせないだけの技術・体力を有する者をして、犬に口輪をはめ丈夫な鎖をもつて引率させるとの注意義務を負い、もとよりこのような引率者自身も犬を充分に確保し他に危害を及ぼさないよう万全の措置をとる注意義務を負うものである。
ところが被告は、前記のような体格を有しかつ咬癖ある被告犬を被告犬引率につき技術・体力ともに不充分な妻正子(被告犬は主人の命令に完全に従うように充分な調教を受けていない。)をして、緊急やむを得ない用務でもないのに、しかも口輪もはめず引率、道路上を外出させることを容認したのであるから、それ自体前記注意義務をつくしたといえない。又正子自身被告犬を引率するに足りるだけの前記技術・体力をもたないのに敢て被告犬を引率外出し、しかもその確保不充分であつたから、占有機関としてこれまた注意義務をつくしたとはいえず、この過失は被告自身の過失と同視すべきである。
(二) 原告側の事情
原告及び晟子の警戒心の有無、晟子の本件事故での措置・態度を検討する。
後記三(二)で認定するように原告犬は交配犬として優秀で高価な名犬であつたこと、原告は犬の輸入、交配、販売業者であることが明らかであるから、原告には高価な犬を専門に扱う者として犬に関し不慮の事故に充分備えて高度の注意をつくさなければならない。これを公道上の散歩についてみれば、引率者は見透しの悪い曲り角では他犬との不意の接触・自動車事故を避ける為犬を引率者の前に出さず予じめ安全を確かめるべきであり、特に二匹一緒に散歩・引率するときは他犬との接触による危険から守るため、即座に犬を抱きかかえる等の避難態勢のとれるようにしなければならない。さらに散歩コースに大型犬、野良犬が出没するか否かの調査を行ない、これらと遭遇する機会を少くするよう飼主と協議し、又は散歩時間散歩コースを慎重に選択しなければならない。
晟子が事故当時原告犬の他に同種類の雌一匹、計二匹を一緒に引率して散歩していたことは当事者間に争いがなく、晟子が③地点で一旦止り7.8メートル先に正子に連れられた被告犬を発見し、足元前三〇センチメートルの所にいた原告犬を抱き上げようとしたが間に合わなかつたことは前記認定の通りであるが、晟子が見通しの悪い右交差点で予じめ前記のような注意を払つたものとは認め難い。また<証拠>によると、晟子はポメラニアン犬につき一〇年間位飼育しかつこれを散歩させるとの経験があるものの、専門業者ではなく、年令も五〇才に達していたことが認められる。
以上の事実によれば、晟子は高価な犬を二匹同時に引率した場合、他犬との遭遇による事故から二匹とも守るには必ずしも適当な者とは思われない。
晟子宅と被告宅間は数軒離れているだけであること、原告犬が本件事故前にも被告犬に尻尾を咬まれたことは前記認定の通りであるから、晟子は原告犬の散歩コース上に咬癖のある被告犬がいることを充分承知していたと推認されるが、晟子が散歩時間、コース等につき考慮する等被告犬等に対する予防策等をとつた事実は認められない。
よつて原告側にも本件事故発生につき過失ありというべきである。
(三) 結論
以上説示のとおり双方の事情を考慮しても被告は動物占有者として過失の責あるを免れないから、その免責の抗弁は理由がない。
三損害の範囲(逸失利益)
(一) 原告犬死亡による損害との因果関係
我国に棲息する犬には交換価値を有せず、従つてその雄犬から交配料収入を得られないものも存し、交配料収入を期待できる犬はむしろ稀であつた。近時生活水準の向上に伴い、交換価値のある犬を飼育する者が急増し交配料収入を得られる雄犬も屡見受けられるようになつた。しかしなお犬が通常の場合交換価値あるものであると断定するまでの段階に達しているとはいい難く、従つて雄犬の死亡に伴うその交配料収入の逸失は、死亡によつて生ずる通常の損害とはいえない。所詮これは特別損害というの外はない。
ところで被告は受犬家であり自ら又は妻正子らをして常に自宅附近で被告犬を引率、散歩し、一方原告は被告宅から数軒先において原告犬を飼育しかつ晟子をして常に自宅附近で原告犬を引率、散歩させたこと、本件事故発生以前すでに正子に引率された被告犬が、晟子に引率されて散歩中の原告犬にかみついたことは前述した。これにより被告は原告犬の性状とその価値とを知る機会を得たというべきである。さらに本件事故発生地は原告被告の住宅附近であり、いわゆる住宅地に属し、ここでは交換価値のある従つて交配収入を得られるような犬を飼育する者も稀ではないとみられる。このような事情のもとでは被告は被告犬を自宅附近で散歩させれば、このような犬に出会う可能性あること、従つてもし被告犬がこのような犬を死傷させればその交配料収入等を失なわせることを予見し又は予見できたというべきである。
(二) 原告犬の一回の交配料収入
<証拠>によると、原告犬は昭和四〇年八月二八日生れ事故当時四歳七ケ月の雄の英国産ポメラニアン種で、曾祖父母から父母までの間にチャンピオン賞をとつた者多数あり、昭和四一年に犬の輸入、交配、販売業者である原告の手により六〇万円で英国ハードレイ社から輸入され、昭和四四年一一月九日には西武デパート札幌大会チャンピオン賞を受賞したことがあり、原告犬の仔は昭和四四年・四五年には東京でのドッグショーにおいてポメラニアン種の最優秀賞及び全犬種を通じての最高賞である内閣総理大臣賞を受賞し約一〇〇万円で売買されていること、大阪府茨木市の訴外加藤某女が原告に対して原告犬を三〇〇〇万円で譲り渡してほしいと申し出たこと、英国産ポメラニアン種の一回の交配料の相場は本件事故当時二五、〇〇〇円から三〇、〇〇〇円であること、ポメラニアン種の人気上昇に伴い、その交配料相場もその後昭和四六年にいたるまで高騰しつつあることを認めることができる。しかしこの人気と相場とが今後も引き続き上昇するものか否かは確認し難い。
<証拠>によると、原告は原告犬の交配料収入(紹介者に対する謝礼を控除した残額をいう。)として昭和四三年(ただし二月二五日から一二月まで)中交配回数二七回、総収入六五八、〇〇〇円、一回平均二四、三七〇円、同昭和四四年中交配回数四四回、総収入一、三七〇、〇〇〇円、一回平均収入三一、一三六円、同四五年(ただし一月から三月三一日まで)中には交配回数一六回、総収入四七五、〇〇〇円、一回平均収入二九、六八七円を得ていたことを認めることができる。
以上の事実を総合すると、原告犬が生存していたとして事故後の平均交配料収入は一回当り三〇、〇〇〇円と認定するのを相当とする。
(三) 原告犬の一年間の交配回数と余命年数
<証拠>によると、一般にポメラニアン種の種犬の交配回数年は一ケ月平均四、五回、交配可能年数は年平均五〇回の交配を続ければ七、八歳から一〇歳までであることが認められ、前記のように原告犬の交配回数は昭和四三年(二月二五日から一二月まで)二七回、同四四年四四回、同四五年(一月から三月まで)一六回であり、その死亡時の年令は四歳七か月であつたことを総合すると、原告犬は一ケ年交配回数五〇回、交配可能余命年数事故後三ケ年(原告犬が七歳七ケ月になるまで)であると認定するのを相当とする。
(四) 原告犬の飼育宣伝等、必要経費
<証拠>によると、原告は、原告犬の宣伝費用として一ケ月四八、〇〇〇円(内訳月刊誌「愛犬の友」広告費二八、〇〇〇円および展覧会六〇ケ所宣伝カタログ代二〇、〇〇〇円)、食費代(牛肉鶏肉等)として一ケ月三、〇〇〇円、衛生費治療費として一年間三回位医師の診察を受けるのでこれが年平均四、五〇〇円、一年間六回位予防注射(狂犬病、テンバー)を受けるのでこれが年平均九、〇〇〇円を各々支払つたこと、原告は年平均二回の展覧会出場のためのトレーニングを出場一回限り数日間自ら実施しているが、これをもし他の訓練士に依頼すれば一日当り一、五〇〇円の費用を要すること、原告は原告犬の手入れ、ブラッシングも自身で実施していたことが認められる。以上の事実を総合すると原告犬の飼育管理費用は一ケ年間約七〇〇、〇〇〇円となる。
(五) 損害額
原告は原告犬の交配料年収一、五〇〇、〇〇〇円から必要経費七〇〇、〇〇〇円を控除した年純利益八〇〇、〇〇〇円を原告犬死亡後三か年にわたり毎年三月末に得られたものというべく、これから年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除し、原告犬死亡時である昭和四五年四月一日における現価を計算すると、二、一八四、八二九円となる。
四過失相殺
理由二(二)において説示したとおり原告にも本件事故発生につき過失があつたから、これを考慮すれば、被告が原告に対し賠償すべき損害を一、五〇〇、〇〇〇円と定めるのを相当とする。
五結論
以上の事実によれば、原告の本訴請求は右損害金一、五〇〇、〇〇〇円とこれに対する本件事故当日の昭和四五年四月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるから認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。 (沖野威)